こんにちは、朝倉空美です。
昨日、魂のトリセツ番外編をアーカイブ受講しました。
今回のお話は、「徳とカルマについて」です。
森野さんのお話は、いつも心に刺さります。
さすが、心のプロ。
今回、印象的だったのは、徳もカルマもエネルギーの一種だという説。
森野さんが考える徳とは、
・人のためになることをすると貯まる(ゴミ拾いとか、簡単なことでOK)
・徳は、いいことを現実化するときに使われて、減る
・減った徳は、いいことをすると回復する
・次第に、徳が徳自体を増やしていくようになる
えっっ!?徳っていいことを現実化すると減るの?
いいことが起こったときは、徳が減っているっていうこと?
減るのはイヤだな、減らないようにできないかな。
ちらっと、そんなことを思ったのですが、その切り口からは幸せに到達できないようです。
徳を使って、徳を積む。
いわば、投資の考え方で、徳というエネルギーと付き合っていくことが大切。
「できるだけ徳を使わないで済むように」と考えると、いいことが起こる頻度を減らさなければいけなくなるので、幸せ度が下がってしまいます。
それよりも、使った以上の徳を積むことで、自分も周りも幸せにすることができる。
確かに、そっちのほうが、精神衛生上もよさそうです。
ダイエット(制限)するより、シェイプアップ(動く)!
大好きなチョコレート一粒を我慢して生きるくらいなら、チョコレートを一粒食べて、その分、掃除で体を動かす!
そんなイメージでしょうか。
徳を積むときの注意点としては、「自分を不幸にしたり、傷つけたりしてはいけない」ということ。
「人のためになることをする」と思うと、「自分は我慢して相手の要求にこたえる」ということをやってしまいがちなのですが、それでは徳は積めないそうです。
ここでいう「人のため」というのは、大きく言うと「世の中のため」なのですが、「自分自身」はその「世の中」の一部なので、それを傷つけるということは徳を積むこととは反対の行為となるのだそうです。
魂のトリセツで繰り返し伝えてくれていた「『私という糸』は『一枚の布の一部』」の考え方ですね。
私を傷つけたり、不幸にしたりすることは、布の一部を傷つけたり不幸にすることなので、布=世界=人(だれか)を傷つけることにつながるということです。
そう考えると、自分が負担に感じるほどのことはしなくてよくて、自分ができることや、得意なことで、誰かを幸せにできれば、世の中のためになることができれば、ということなのだと思います。
それなら実行できそう。
廊下に落ちているゴミを拾う、とか、玄関のくつをそろえる、とか。
実生活が整えば、自分の心も整いそうだし、やってみようかな。
勝手に徳が増えていくゾーンに入るまで、ちょっとだけ意識して過ごしていこうと思います。